小児病棟で働く看護師が経験した海上の救護活動

緊迫した救護活動

瀬戸内海を航行中のフェリーで「子どもがひきつけを起こしています。医療関係者の方はいませんか?」という船内アナウンスが響きました。

この呼びかけを聞いた多くの看護師が現場へ駆けつけました。そこには、40分間痙攣が止まらず意識レベルⅢ-300の幼い男の子と混乱しているご家族がいました。

現場にはアナウンスを聞いて集まった多くの医療関係者がいましたが、小児医療の専門的知識を持つ者は誰もいませんでした。
周囲には不安が広がり、何をすべきか判断できない状況でした。

看護師の小田さんは自身が小児病棟で勤務していることを告げ、もう1人の救急系看護師とともに対応を開始しました。

フェリーに備えられていた医療用キットを確認したところ、小児用の医療器具はほとんどなく、唯一使えるのは体温計のみでした。

男の子は嘔吐もしており、小田さんはまず窒息を防ぐための体位調整を行いました。
次に掛け布団を使って体温管理を行いました。

成人用のパルスオキシメーターがありましたが、痙攣の影響でほぼ機能していませんでした。
そのため、脈拍や呼吸は実際に身体に触れて確認を行いながら、常に男の子の状態を見守りました。

状況は深刻と判断した小田さんは、もう一人の看護師と連携し、客室乗務員を通じて船長に生命の危険性や後遺症の可能性を伝え、一刻も早い搬送の必要性を助言しました。
しかし、海上保安庁から搬送手段の制限があるとの説明があり、到着まで2時間を要すると告げられました。時間との闘いが続きました。

孤独と不安、そして使命感

医療機器も通信手段もない中で、頼れるのは自分自身の知識と経験だけでした。
医療機器が揃った病院であれば当たり前のようにできる処置が、この場では何一つできない。
小田さんは「普段、いかに恵まれた環境で働いているか」を痛感したと振り返ります。

搬送要請をして1時間半後、ようやく海上保安庁の船が到着しましたが、海上での患者受け渡しは安全面の問題から難しいと判断されました。


次の手段として、関西空港からのヘリ搬送が来てくれると連絡がありましたが、フェリーが関西圏外に出ていたため、ヘリの離陸が出来ない状況でした。
再び船長へ助言を行い船長の判断でフェリーを関西圏内まで戻すことになりました。

この間、小田さんは男の子の状態を継続的にチェックし、少しでも回復の兆しが見られるたびに男の子や不安を抱いている家族へ声をかけ励ましました。

最後まで寄り添った看護

フェリーが関西圏内に戻した後、ヘリ搬送が可能となり、最終的に無事に男の子を海上保安庁へ引き渡すことができました。
その頃には痙攣が治まり、意識も徐々に回復し、会話も可能になっていました。

小田さんはその瞬間、「生きた状態で命のバトンを次へ繋げることができた」と実感しました。
そして男の子は無事、海上保安庁の医療スタッフに引き渡されました。

搬送後、ご家族は涙を流しながら「本当にありがとうございました。必ず探してお礼に伺います」と深く頭を下げました。その言葉を受け、小田さんは「この仕事をしていて本当に良かった」と感じたそうです。

真ん中が今回の救護を行った小田さん

小児病棟師長よりコメント

フェリー内という小児医療に必要な機器も資源も不十分な緊迫した状況下で、冷静かつ迅速な判断を行い、船内でリーダーシップを発揮し子どもの命を救ってくれたこと、とても素晴らしく誇らしく思いました。
常日頃、小田さんが患児やそのご家族へまごころ看護が実践出来ているからこそ、そういう状況下でも的確に対応出来たのだと思います。
とても勇気のいることだと思いますが、小田さんの「子どもの命を守り、そして後遺症を残さない!」という看護師としての強い使命感の表れだと思います。
今回は、小田さん自身の医療従事者としての成長を促す貴重な体験でしたが、また他のスタッフにも刺激を与えた出来事でした。
これからもこの経験を活かし成長し続けてほしいと思います。

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